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稽古 〜稽古照今〜


    かむが   ふういう           すた         ただ

 「古を稽へて風猷を既に頽れたるに縄し、今に照らして典教を絶えむとするに補はずといふことなし」(『古事記』序の第一段

 すなわち稽古とは、古(いにしえ)を稽(考える)という意味であり、転じて学問を行なうという意味で使われた。それが中世に入り次第に技芸の修練をも意味するようになった。

 武道の稽古では、おもに『型』を学ぶ。『型』はその流儀の先人達が考案した理法に基づいて形成された方法、様式であり、その流儀を特徴づけるものである。

 又、武道における稽古は、修行という概念にも通じ、技術的向上と共に精神的鍛錬という意味合いも強い。

 


《『合気道』第五巻より》

稽古の種類

(1)見取り稽古

  自分が稽古できない時、見学して心、技を修得する方法である。

(2)一人稽古

 (イ)素振り

    一人で木剣を振る。鏡を用いて形の崩れているところは自分で

    直す。

 (ロ)鍛錬打ち

    タイヤや木の枝を束にし、適当な高さに固定して木剣で打ち込

    む。

 (ハ)想定

    一人で相手の動きを想定して稽古する方法である。月夜であれ

    ば自分の影を、昼間であれば鏡を利用してもよい。又、暗闇で

    稽古することもある。

(3)普通稽古

  相手を決め、師範の教示する技を交替で繰り返し行なう。

(4)掛り稽古

  一人に対し、多数が打ち掛かる方法である。

(5)自由稽古

  技を決めず自由に打ち込ませ、それを捌く稽古方法である。

(6)行事稽古

 (イ)寒・暑中稽古

    最も寒い時、暑い時に一定の期間を決めてする稽古である。開

    祖は「寒のミソギ、土用のミソギ」と称していた。

 (ロ)合宿稽古

    道場を離れ、特定の場所を選んでグループで一定期間寝食を

    共にして稽古に専念する。連帯感、親近感を湧きたたせる。

 (ハ)合同稽古

    他道場の稽古人と合同でする稽古である。互いに悪いところを

    注意しあったり、慣れ合い稽古になるのを防止する。

 稽古の種類としては以上であるが、以前には内弟子(道場に住みこみで師事している弟子)だけが集まってする「内弟子稽古」があった。非常に厳しい稽古である。内弟子は稽古時間外も稽古と言われ、24時間気を使い、歩き方ひとつにも注意したものである。

稽古の順序

(1)徐々に烈しく

 体の変更、立技呼吸法、第一教から第五教の順序で身体をならし次第に投げ技に入るのが普通である。最後は座技呼吸法である。

 これは昔から開祖のとられた体術の稽古順序である。剣・杖の場合も、合わせ、組太刀・組杖の順にすると怪我がない。合わせも最初は間合を充分にとり、打ちこんでも剣・杖が触れない位にした方がよい。そして次第に間合をつめてゆく。この時、防具は一切つけない。

(2)初心者を中心にして

 新らしい人が入門してきたら、その人を中心に判り易く、基本技を繰り返す。上級者は初歩に戻るので嫌がるかもしれないが、自然に基本技を重複することになり、基本形が身につくのでこの方法がとられる。

(3)“流れ”の稽古は三段以上

 基本の固い稽古を三段になるまで続ければ、“流れ”の稽古は自然にできるようになっている。固い稽古を重視する故の戒めである。

 

稽古上の注意

(イ)礼儀を守ること

 「礼を尽くす」という言葉があるが、単に頭を下げるだけではなしに、あらゆる点で師範や先輩に、学ぶものとしての立場から礼儀を尽くすことが大事である。礼儀は目立ち過ぎれば慇懃無礼となり、謙遜し過ぎれば時宜を失するきらいがあり、非常に難しいものである。

(ロ)受身をとれるように投げること

 よく叩きつけるように投げて得意になっている人がいる。厳しい稽古というのは決してこのようなものではない。真の稽古は、投げる迄の過程にある。合気道の技は受身がとれぬように出来ている。怪我をさせぬように投げることこそ、大事な心掛けというべきである。稽古は鍛錬することであって、怪我をすることではない。

(ハ)技は正確に行なうこと

 「技は一分一厘くるっても技にはならない」と言われてきた。基本技は速く行なう必要はないから、あわてて急いで肝心なところを抜き、変なクセを身につけてしまうことのないようにしなければならない。肝心なところには口伝が残されているから、忠実に守ることが必要である。

(二)迷ったら基本に戻れ

 多種多様な変化技を工夫しているうちに迷ったり、壁につき当たることがある。そのような時は基本に返って出直すことである。そうすることによって自ら道を開くことが出来るのである。

(ホ)物を大切にすること

 自分の稽古道具を平気で跨いで歩くようではいけない。そのような人は先ず無用心である。合宿の折など、食べ残した物をすぐに捨てる人もあれば、翌日までとっておく人もいる。特に福祉の発達した国の人ほど捨てる傾向がある。これなどは、命を粗末にしているようなものである。総じて物は大事にしなくてはいけない。

 

 

 

現代語訳

〈古代のことを明らかにして、風教道徳のすでに衰えているのを正し、現今の姿を顧みて、人道道徳の絶えようとするのに参考にならぬものはない〉

風猷-風教・道徳のこと。

典教-人間の守るべき法と教え。

鍛錬打ち

ある程度の素振りの形が身についてから行なうこと。逐次強度を高めはここでも同じ。バカバカ打ちゃいいってもんじゃないんです。

『武道』

練習上の心得

五、日々の練習に際しては先ず体の変更より始まり逐次強度を高め身体に無理を生せしめざるを要す又練習初期は一回約十分を限度とす然る時は如何なる老人と雖も身体に故障を生ずることなく愉快に練習を続け鍛錬の目的を達することを得べし

武道家の礼儀は用心である。用心深いから武道家は礼儀正しい。

「技は厳しく、投げはやさしく」